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闘病日誌(難病との戦い) [一般]

闘病日誌 パーキンソン病との戦い(国立長寿医療研究センターでの入院記録)H23年1月31日(月曜日)病院へ行く。予定では2月7日の予約であったが、このところの体調の急激な悪化で会社でも指摘され予約をしていた予定日よりも早く行かざるを得なかった。今までどうにか普通に歩けたがこの一カ月前から急に歩行が困難になりまっすぐ立つことすらおぼつかない有様。本当に情けない。会社の方も棚卸を控えて忙しいため休むわけにはいかないと思いつつも、この体では何ともならない。予想通り即入院、もうあきらめ?2月1日(火曜日)入院の日であるが、行く前に一仕事、ISFCインドアサイレントフライト研究会の会場費の納入と3月の会場予約をしなければならない。このところの体調不良でISFCの100回記念行事の催しを渡辺氏に任してしまったためこれぐらいはしておかないと。この大事な時にこんな体になってしまい何度も書くが、本当に情けない。これだけじゃない、娘も中学を卒業受験、の大切な時期、親に似ず優秀で優しい娘で卒業式では代表で答辞を読む。絶対に出席をしようと思うがダメかな?神は私を見放したか・・・・・なんとか用事を済ませ病院へ。病室に入ってびっくり昨日病院の食堂で昼食を取った後、食器をかたずけるのにしどろもどろしていたらすばやく私がやりますよと声をかけて、運んでいただいた親切なおばさんがいらっしゃるではありませんか。ご主人の看病で毎日病院に来ている方でこの広い病院で偶然とはいえ同じ部屋とは。2月2日(水曜日)連日のMRI検査、神経伝達の検査、どうも芳しくないようで首の手術も視野に入れて、長期入院も覚悟せねば。仕事はもう出来ないのか、いや、しなければいけないのです。娘が自立するまでは何としても。ラジコン、ギター、フルートはこの指ではもう無理かもしれない。でも仕事だけは何としても。じいちゃん、神様、助けてください。病棟の食堂で見るのは車いすのお年寄りの方ばかり、みな看護を必要とする方ばかり、私もその中に入ろうとしている。まさか自分がこんな病に侵されるなんて。私がまだ若い頃、あのスーパーボクサーモハメッド・アリがこの病にかかり、ほら吹きクレイと呼ばれた面影は消え失せ無口、無表情、車いすでの移動する様を垣間見、この病気はどんな症状、原因など調べたことがあったがまさか自分がこの難病にかかるなんて。今の医学では原因は解明できておらず、治療法はまだない。いずれは寝たきりになってしまうのか・・・・2月4日(金曜日)今日は6名の方が退院されるということで予てからの希望であった病室を4人部屋から個室にかわった。これでパソコンもできるしプライバシーも守れる。迷言った気持も少しは緩和されるかな?でも部屋代高そう・・・・夜は初めての見舞い客、妻と娘が来てくれました。娘は受験で一番忙しい時、そして妻には迷惑ばかりかけ今回もまたとんでもない苦労を背負わせてしまいました。帰り際の妻の涙をみて私はどうすればいいのでしょうか。頑張って病気に立ち向かうしかありません。 2月5日(土曜日)今日は朝から体が動かない、苦しい、両手もしびれて感覚も鈍い。薬を飲んでも不随運動ばかり出て首が痛むだけで一向に良くならない。昨夜は妻娘を見送りに病院の玄関まで普通に歩けたのに・・・・いっそのこと早く殺してくれと弱気になってしまう。窓から望む木々はゆれることのない穏やかな小春日和。もう一度あの大空に向かってラジコンヘリコプター、飛行機、グライダーを思いっきりとばしたいな~夕方になり不随運動も収まり多少体がうごくようになった。この状態がずっと続けばな~ 2月6日(日曜日)花の日曜日風もなく穏やかな休日、さあラジコン飛ばしに行くぞ!!いざ出陣!!と、いきたいところだが、今は不可能、遠い昔の夢物語。朝5時目が覚め、やっぱり体が動かない、手もしびれ腰も痛くて起き上がれない。深いため息、絶望の朝。今日は、どんな一日になるのだろうか?娘も明日は受験がある。妻に電話してみる。今日用事を済ましてきてくれるそうだ。入院前はいつも一緒で煩くてうっとうしいと思ったこともあったが。離れているともう頼るのは妻だけで、会いたくてたまらない。昼過ぎ妻と母が見舞いに来てくれた、3,4日会わないだけで母も本当に年を取ったものだ。バッグを置き忘れどうなるかと思いきや親切な方が受付に届けてくれていたため事なきを得ず。大金が入っていたが無事に戻りほっとする。世の中捨てたもんじゃないですな。昔は私が入院した時は毎日病院に来て世話をしてくれたがもう母にそれを望むのは無理。妻とゆっくり話をしたかったが母が帰りたいというので今日のところは1時間ほどで帰ってしまった。まだ孤独な入院生活が続くのです、空しい日々が・・・・・2月7日(月曜日)今日は月曜日さあ仕事!!と気合を入れて床を離れ会社に向かったのが数日前、今は惨めな闘病生活、これからどうなるのだろう。相変わらず両手はしびれ体は思うように動かず不随運動がひどく首も腰も痛い。今日から薬の調整にはいっている。良い方向に向かえばいいのだが。希望をもって。午後食堂に置いてあるピアノを弾かしてもらった。少しは気分転換になる、自働伴奏が付いている電子ピアノなので動き辛くなった指でもなんとか曲になる。病室に戻りベットに横たわり天井を眺めいろいろなことが頭を駆け巡る。娘の受験、仕事、母、妻・・・空しく時間が過ぎてゆくこの貴重な時間はもう取り戻すことはできないのだ。2月8日(火曜日)夜中に2回ほどトイレで起きたが、いつものように5時に目が覚める。入院して1週間過ぎているのに未だに私は今どこにいるのか?と錯覚してしまう。会社に遅れてしまう早く準備しなければ・・・まてよ、私は今入院しているのだ・・・長年の習慣は体に染みついて離れないものだ。いつものように薬を飲み変わり映えのしない朝食、点滴とスケジュールにそってすすんでゆく。そうだ今日は入浴の日だ。火曜と金曜日の週2回が貴重な入浴の日である。嬉しいのであるがちょっぴり躊躇、看護師さんに服を脱がしてもらい、体中洗ってくれる恥ずかしい気持ちで気が引ける。体は動かなくても頭脳も感情も正常な男ざかり・・まあ、病人だから我慢、我慢・・・さっぱりして落ち込んだ気持ちもいくらか和らいだ。しかし入浴も一人でできなくなってしまうほど病気が進行しているのか?頭はしっかりしているのにどうして手足は動いてくれないのか、なんという拷問か!!夕方薬剤師が薬の変更の説明にやってきた。痛み止めの薬を変更してしびれも取る薬にするそうである。とにかく一日の薬の量は半端じゃないのです、薬でおなかがふくれてしまいます。早く良い治療薬が発見されないかな、対症療法はもういいです。2月9日(水曜日)昨夜から寝られない。昼間にほとんど運動しない(出来ない)こともあるが、いろいろなことを考えてしまって熟睡できない。今朝は午前3時ごろから起きている。また空しい一日の始まりである。駄目ですねこんな気持ちで朝を迎えては治る病気でもどんどんと悪化してしまいます、ましてや私の病気は難病で治療法がないときている。それだからこそ反対に希望に満ちた気持ちで朝を迎えないと。苦しいな、病は気からか・・・・・??夕方妻が見舞いに来てくれた。娘の入学試験の迎えを済まして来てくれた。頼りになる妻である。もう妻しか頼れる人がいません。私は今はもう何も出来ません。治療に専念するしかないのです。白血病の治療薬も開発され今ちょうどニュースでアルツハイマーの進行を防ぐたんぱく質が発見されたそうな。両方とも日本人の快挙である。パーキンソン病の治療薬早く開発してください、日本人さん。ガンバーレニッポン!!2月10日(木曜日)寝られない今朝も3時ごろから目がさえてベットの上でいろんなことが頭をよぎる、ウイーン演奏旅行、NHKホールでのマタイ受難曲の演奏、そして大学4年の時の静岡大学とのジョイントコンサート他・・・・楽しく感動した思い出だけが次から次へと湧き出てくる。不思議とつらく悲しかったことはあまり思い出さない。私はほとんど苦労とか悲しみを経験しなかったということですな。そのつけが今こうしてまとめて降りかかってきたのでしょうか。もうこれだけ苦しめばいいんじゃないですか?世間では明日から3連休、病院も明日の予定の入浴が今日になった。入浴前にいつもの場所でフルートを吹きに行ったのだが風が強く寒いのなんのあわてて退散。おとといまで温かだったのにまた冬に逆戻り。風邪をひかないようにしないと。今日のところ屋外コンサートは天候不順のため中止となりました。今日は体調が良くなく、ふらつきがひどく2度ほど転倒しそうになった。くすりの調整に入り、投与量、種類が大幅に減っている、その影響かな?入浴も看護師さんの手を借りないと入れない有様、なんて惨めなんだろう。若くて優しい女性の前で裸になる羞恥心なんてもうなくなってしまいました。この病棟はみな介護の必要な老人しかいません、私と同年代、あるいは若い患者さんは皆無で話し相手もいないし気力も薄れてしまう・・・・明日は私の大好きなボクシングの世界タイトルマッチがある。それを見て気力を絞り出さなければ!2月11日(金曜日)今朝はよく寝ることが出来た。夜中に一度トイレで起きただけでその後熟睡できたようだ。4時に目が覚め立ち上がった時、以外に体が動きやすくなっている。薬の変更のせいかな?またもや病は気からかな?5時45分頃いつものように薬を飲む、しばらくしてやっぱり首の不随運動が出てきた痛みもある、でも体は意外に動くようだ。良い方向に向かえばいいのだが。外は大雪で真っ白。妻、車での通勤大丈夫かな?妻は携帯を持っていないので連絡が取れない。心配だ。ずっと一人の病室での生活さみしい、テレビは八百長相撲の事ばかりでつまらない、でも夜にはたのしみなボクシング中継がある。唯一の楽しみだ。早く良くなって退院してラジコン仲間と一緒に思い切りヘリコプターを飛ばしたいし合唱仲間と思い切り大声で歌いたい。お金も?名誉もいりません、健康な体がほしい。でもお金はちょっとほしいですな3時の薬を飲んだ後フルートを吹く場所を探すため病院内をうろうろ、結局みつからず、玄関の外のベンチで吹いていたら寒さで指が凍結、すぐに退散、食堂でピアノを弾くことにした。やさしい童謡を弾いていたら、車いすのお年寄りの患者さんたちが次々と来られて、私が11曲弾くたびに温かい拍手をしてくれるではありませんか、素敵な音楽ありがとう心が休まりますよ。と言われた時はとてもうれしく私でも人助けが出来るのかなと少し希望が・・・・・でもこの指も少しずつ動かなくなってきている、しびれは取れなく感覚も鈍い。慰労コンサートみたいになってしまいましたが私も気分がよく体もよく動く。やはり病は気からですね。夜は楽しみなボクシング中継。ヤッタ!!ノックアウトで日本選手勝利そして世界チャンピオンだ!!気分爽快!!私も頑張って病気に勝とう!有意義な一日になりました。212(土曜日)いつものように目が覚め薬を飲む。以外に体は動くが少したってやはり不随運動が出てきた、首も痛い、病院も3連休の間は診察も検査もなく、点滴と薬を飲むだけなので時間がある。診療もしていないので外来患者も来ないので静かだ。父が生きていたら毎日のように見舞いに来てくれただろう。今月は父の3回忌法要をしなければならないのだが今の状態ではちょっと無理かな?見舞い客は全くないので、気楽ではある(ツヨガリです)今日は検査もないので午後フルートの練習をしようと外の出ようとしたが寒くて病院内の待合室で行いました外来がないので静かでもってこいの練習場所です。そのあと食堂へ行きピアノを弾いていたら後ろからめかくしされ、誰?と振り向いたら妻と娘が見舞いに来てくれました。娘の高校の合格報告に来たのです。少しほっとしましたが、本命の公立の試験の3月中旬までまだ気を抜けません。私がこんな重要な時期にこんなことになってしまい妻そして愛しい大切な娘にほんとうに申し訳なくて夜ベッドに入ると何もできない自分のふがいなさに涙があふれてきます。今はこの難病に打ち勝つしかありません。世間では3連休の真っただ中病院も休みで外来の診察もなく、フルートの練習がたっぷり出来ると思うが、今日やりすぎで体調が悪化してしまったみたいでほどほどにしないと(ラジコンの調整の時も夢中になると時間を忘れとことんやってしまう性癖がある)いけませんね。今日は早く寝ます。優しくかわいい看護婦さんが寝る前の薬を持って来てくれました。ありがとう。213(日曜日)早いもので入院してもう2週間目になろうとしているが体の方はあまり芳しくない。腰、首、が痛くて起きられない。今日も花の日曜日なのに一人さみしくベッドの上での生活。これも不思議だが日曜日の朝はうきうきしてしまう。長年の習慣はなかなか体から離れない。仕事が休みで思う存分ラジコンを飛ばせるという気持ちが体にしみついているのです。もうそういうことは2度と来ないと思うので自然に消えるでしょう。そして日曜日なので病院はお休み。外来診察もなく静かである。今日はあまりフルートを練習しすぎないようにしないと。何か無性にギターが弾きたくなって妻に電話して持ってくるようにお願いした。このしびれる指ではもう以前のようには弾けないが45年以上弾いている私の分身ともいえるギター抱えて音を出すだけで気が休まるのです。中学生の時にすでにアルハンブラ宮殿、モーツアルト変奏曲、アメリアの誓い、などを披露して、トレモロ、ハーモニックスにみんなを驚嘆させたことももう出来ませんが、その思い出を抱いて音を出すだけでいいのです。未来のない私にはそれで心が休まり今の時間を1分、1秒と大切に生きたいのです。夕方食堂でピアノを弾いていたら昨日のように車いすのお年寄りの方が集まってこられ童謡を弾きながら一緒に歌ったりお話したりしました。皆さん頑張っていらっしゃる。私も頑張らねば!!214日(月曜日)入院して2回目の月曜日、今日はバレンタインデイならぬバレンタイインデイ(退院日)ならいいのだが。やっぱりまだ腰が痛くて体は相変わらず動かない。昨日も見舞い客は全くなく孤独な入院生活、さみしい(本心から)。いつタイインデイ(退院日)が来るのだろう。でも今退院してもこの体では仕事はできず、家では年老いた病気がちの母と高校受験を控えた娘がいる。帰っても迷惑だけだ。病院でおとなしくしているのがいいのかな?今日病室を変わった。今までの広い豪華な部屋では入院費が払えないので小部屋に代えてもらった。狭いけど見舞い客は来ないし私一人だけのベッドがあれば十分だ。今日は月曜日だというのにとても静かだ。外来の方はにぎやかだろうな。ベッドで寝てばかりではいけません、散歩しながら外来を見に行く。足取り軽くと行きたいところだがやはり足が動かなく真っすぐ歩けない情けない。そこで思いついたのが北朝鮮の軍隊の行進の歩き方である。テレビで見たのであるが右、左と足を出来るだけ真っすぐ交互に前に突き出しながら歩くのです、声を出して、いちに、いちに、と歩くのです同じ病気でお悩みの方一度お試しください周りの視線もなんのその、いちに、いちに、がんばれ、にっぽん!!2月15日(火曜日)いつものように目覚めるが、相変わらず仕事に行かなければいけない、遅刻する!!あっそうか入院しているんだ。という30年体に染みついた慣習はなかなか離れない。ホッとして朝食をいただく、そして、薬、点滴とお決まりのコース、いや今日は入浴があるので、フルコースですな。看護師さんたちは寝たきりのお年寄りの方たち一人一人丁寧に入浴させている、患者さんはとても気持ちよさそうに体を洗ってもらっている、私も洗っていただいたがとても気持ちがよかった。しかし看護師さんの仕事は本当に大変な仕事だ、私のような気が短くてめんどくさがり屋の性格では全くできない仕事だ。神様は人間の能力の適材適所を本当にうまく振り分けたものだ経済に秀でたもの、文学、芸術、機械、科学、スポーツ、芸能、数学、料理、歌うこと…きりがありませんが、このような分野で自分の秀でた能力を見つけ出し仕事として努力されているから社会が発展しているのでしょう。偏ったものに能力が集中すると。たとえば文学に秀でた人ばかりだったら、工業も医学も発展しないし、おいしいものも食べられない。すこし極端な言い方をしましたが。日本は多くの分野にスペシャリストがいらっしゃる。医学もそうです。スペシャリストさん、早く薬を開発、発見してください。今日から寝る前に新しい薬が追加された。いい結果を期待します。 216日(水曜日)さわやかな小春日和の朝である、目覚めもさわやか、さあ仕事へ・・・おっと私は入院しているのである。相変わらず腰、首が痛く体は動かない、頭ははっきりしているのに。この習慣は消えそうにないな。今日は妻も仕事が休みなので来てくれると思う。先日お願いしたギターが待ち遠しいもちろん妻に会うのがもっと嬉しい(ここではこのように書いておきます)。妻と2日以上会わなかったというのは何年振りか記憶にないくらいである。それだけに早く会いたい。ISFCインドアサイレントフライト研究会の第100回開催記念行事の準備の方は渡辺氏を中心に会員の皆様のご協力で順調に進んでいるようでひとまず安心。仕事のほうはどうなっているのかな?娘の受験勉強は進んでいるのかな?・・・いろいろなことが頭の中を駆け巡るうちに、点滴の時間、その最中に姉が見舞いに来てくれた、久しぶりに会う姉だがずっと変わらなく元気だ。今日は訪問客(あえて見舞い客とは言いません)が多い日でもあった。私の勤め先の上司が来られ会社の状況をグラフ数値などを交えて説明され、おって連絡がくるとのこと。まあ予測はしていたことだが崖から突き落とされたようになった。そのあと妻が来たときは放心状態。ありのままを話したが妻も予期していたことのようで泰然自若としていた。これからどのように生活していけばいいのだろう、もう生きていてもしょうがないのか、しかし妻に「おとうさんは今は病気に打ち勝ち元気になることだけ考えていればいいのよ」と言われた時は涙があふれ出しずっと妻を死ぬまで愛していようと決心したのです。帰りに駐車場まで見送りに行き、妻の車が涙でぼけた視界から消えてもしばらく立ちすくんでいるのでした。午後急にMRIの検査を行った。入院して3度目である同じところを何度も撮影するなんて何か異常が見つかったのかな?もうどうにでもなれ!どうなってもいいんだ!!朝の星占いでは私のうお座は本日最高の日で何をやってもうまくいくそうな。本当に最高に悲しい日でした。217(木曜日)絶望の朝、事実上の解雇通告、私はこれからどうしたら、いや何を目的に生きていけばいいのでしょうか?症状は芳しくなく体は痛くてうごかない。もうこれ以上周りに迷惑もかけられないし妻も厄介者から自由にさせてやりたい、もう彼女も私から気持ちが離れているようで、見舞いも次回は日曜日に来るそうだ。忙しいのはよくわかるが夫婦なら毎日でも会いたいと思うのが普通じゃないかな(私の考えです)。愛しい一人娘の中学校卒業式、そして高校入学を見届けたら・・・・何も出来ない私には思い残すことはありません・・・・・気晴らしに病院の裏庭のベンチでフルートを吹いたがどの曲を奏でても物悲しくなってしまう、私のこれからの人生を象徴するかのように。218日(金曜日)いつものように目覚める。このまま目覚めなければよいのに、首が痛い、腰も痛い・・・・ああどうすればいいのだろう、会社を解雇されたいま早急に病気を直さなければという気力も生きる気力も無くなってしまった。妻も強い女性で、娘も頭がよくしっかりしているので私がいなくても大丈夫だと思うが、311日の高校受験日まではそっとしておいてやりたい。私もそれを見届けるまでは。昼過ぎに会社の上司と総務が書類を持ってやってきた退社に関する書類であるが健康保険組合の方から1年半手当が出るそうで少し安心。少し落ち着いて食堂へ行きピアノを弾く。一番心の休まる時だ。でもピアノ弾く指もしびれて思うように動かない・・・・219日(土曜日)今日明日はいつものように病院は休みで外来はない。静かだ、シ・・・・・ンと静寂の中にピーンポーン、ピーンポーンとナースコールがやたらと響く、ご老人達が看護師をよんでいるのである。彼女たちは大忙しだそれも一晩中。本当に大変な仕事だ。私もお呼びしてお話でもしようかなんてとんでもない。今日は看護師が足りないのか私の点滴も午後からやっと出来た。そのあと食堂へ行き妻が持って来てくれたギターを弾いたが、全く指が動かない。少し弾いてもうっやめ!!ピアノを弾く。学校を卒業してずっと仕事中心に生きてきた私にとって、一日たって会社を去ることを考えると深い悲しみが湧き出てきた、厳しさの中に私には表さない優しさがあったK氏、見かけは普通のおばさんだが私がミスをすると厳しく指摘し男性以上に仕事に厳しいMさん、いつもどなられてばかりいたが人間的にはとてもやさしく(酒を飲むと特に)頼りになるO組長、若いがしっかり者のY氏。この毎日顔を合わせていた工具室のメンバー、そして現場のやさしい組長さんたち。みなさんよい方ばかり、この会社で嫌いと思った方は一人もいなかったこの会社を去るなんて。入社した時のわくわくした気持ちを思いだし、やたら悲しみが込み上げてくるのです。こんな病気でなかったらどんな仕事でも絶対だれにも負けない自信があるのに(体力的にももちろん)、ところがいまはビンのふたさえ開けられない。情けない。220日(日曜日)入院して3回目の日曜日である、静かであるナースコールがやたらと耳をさす。昨日も誰も見舞に来なかった今日は妻が来ると言っていた。今は本心から誰も見舞に来なくてもいいと思うようになった。母、娘、妻には会いたいのだが・・・・ずっと人に会っていないと会うのがうっとおしくなってきた、仕事をしている時はそんなわけにはいかないがもう仕事が出来ないので人に会う機会はあまりない。これから私はどのように生きていけばいいのでしょう。退院しても家には体の不自由な母と受験を控えた娘がいるので今は帰れないのだ。もちろん今の状態で退院なんて到底無理だが入院費が心配だ。あまり長く入院出来ない。昼食を食堂で待っていたら妻が来てくれた、嬉しかった。食事しながらあることないことしゃべり、私はほとんど聞き役だが妻は私しかいろいろなことを話す相手がおらずストレス発散の感もあるがな?昔のことから現在に至るまでいやなことをしゃべくりまわり私も少し閉口したが妻には苦労をかけすぎたからしょうがない、妻の手は暖かかった。次回は会社の休みの水曜日に来るそうだ。221日(月曜日)世間では仕事、学校と一週間の始まりで、私もいつもこの日は気合を入れて玄関を出発したのでしたが、いまはベッドのうえでただ取りとめもなくパソコンで打っています。この分だと頭もすぐにおかしくなるのかな?静寂の中のナースコール、遠くから人の声が聞こえてくる。犬の遠吠えに呼応するかのように徐々に人声が多くなってきた外来が始まったのだ。こうなると月曜は特に玄関は人だかり、なんて病人の多いことか。健康は本当にお金では買えないものというのを実感。健康になりたい。何百,いや何千、何億?はちょっと無理かな。かかっても健康な体がほしい。頭は多少悪くて勉強できなくても健康でさえあれば何もいらない・・・と、ひとは現金なもので苦しい時はそう言うが、いざ達成されると「そんなこといったかな?」なんて言うもんである。でも私は本心からそう思う。治療薬の早期開発を切に希望今日は、天気がよく温かいので病院の裏のベンチで思い切りフルートを吹いた、気持ちよかった。こんどは食堂へ行きピアノを弾いた、不思議と体が動く、指も意外に動く、良い方向に向かっているのかな?222日(火曜日)朝目覚めたらちょうど5時半で薬の時間だ、でもなかなか看護婦さんが薬を持ってこない。あれ?時間を間違えたかな、寝なおすかなと思って寝かけたところあわてて薬を持ってきた。他の患者さんのところで手間取っていたそうで前にも書きましたが本当に大変な仕事で皆さんにはもう尊敬以上の気持ちでどなたをお嫁さんにしてもいいくらいです(もう遅いです、今の嫁さんにしかられます)。冗談はさておき、病気で荒んだ心を癒してくれるのは看護婦さんの温かいきめ細やかな心使いに他なりません。今日も楽しみな入浴の日です。さっぱりして昼食を取っていたら隣に今日から入院される初老の方がおられ、拝見すると明らかに私と同じパーキンソン病の方で箸を持つ手の振戦、動作の緩慢さ一目で解りました、臆することなく私も同じ病と闘っているんだと話すと初老は5年ほど前に電極を埋め込む手術を受け電池が切れたため電池交換のための入院だそうな。私も手術を考えているが電池が切れるとあのように簡単に戻ってしまうのか、それもたった5年で、胸にもバッテリーを埋め込むための5センチほどの傷跡があり、私も一時この手術を受けるか否か考えたが,考え直さなければ、でもそうだ!!今はバッテリーも急速に進歩して小型軽量超大容量高性能になっている、これは私の趣味のラジコンヘリ、飛行機の分野だが医療業界も同じように急激な進歩でより良い電池の交換ができるのではないでしょうか。その方の術後を期待します。今日は体も幾分良く動く、天気も良く温かいのでいつもの裏のベンチでフルートを吹いた。小春日和のフルートミニコンサートは穏やかな安らぎを覚えた。223(水曜日)このところ症状が安定していて薬の調整の効果が表れたようで不随運動がすくなくなった気がする。さらにまだ調整を続けるようでさらに症状の向上に期待!すこし希望が出てきました。そしてバッテリー交換の方の手術が今日ですので、どのように変わられるのかとても心配と期待といりまじった複雑な心境です。その結果を是非拝見させていただき良ければわたしも検討したいと思います。今日は妻が来る日でこうしてパソコンを打っているうちに来るんじゃないかな?点滴も終わったし、薬も飲んだし昼食にはまだ時間があるので玄関までちょっと、迎えにいってみることに。と思っていろともう部屋に妻がきてくれました。久しぶりの訪問客です。先先日の妻の見舞い以来の訪問で他の人の訪問は全くありませんのでとても気が楽です(友人、親類などに全く知らせていない)。今日バッテリーを交換された方はどうなったのだろう、とても気になる。224(木曜日)結局昨日はその方とお目にかかれず今日の朝も朝食のときには来られなかったので、手術をうけすぐに退院されたのか?そうだとしたらすごい手術だ、先生に聞いてみよう。詳しくは聞くことは出来なかったが私も今すぐ手術というわけでもないので又居りを見て聞くことにして、ただ今では名古屋で3か所で手術が出来るそうであるので、以前のように半年待ちなんてことはないようである。この手術も進歩していると思うのでその進捗具合を注目していきたいと思います、ではレポーターになってしまいます、手術を受けるのは私自信ですので出来るだけ早く受けてみたい。と思っていたのであるが、昨日これからの私の人生を大きく変える出来事、受けてみて良くなっても仕事はないし、昨日妻から受けた言葉にもう立ち直れない衝撃を受け気力を失ってしまった、その言葉とは・・・・私に卒業式に来てほしくないそうだ、私の醜い歩く姿をみんなに見せたくないそうだ、なんということだろう、そのために何としても頑張り、働き、晴れ姿を思いうかべ38日までに病気を治し(いや打ち勝ち)出席するのを夢見ていたが妻の言葉にもう病気を治す気力・・・いや生きる事疲れてしまった・・・・闘病日誌じゃなくなってしまった・・・・遺書みたいになっちゃった。225日(金曜日)まだ生きている。なぜ?ニュージーランドの地震のニュースを見てしまい、すこし踏みとどまってしまいました。片足を切断して救出された19歳の笑顔の写真とインタビュー、そして地元で看護師になるために留学に来た、若い女性の事などまだ不明の方が大勢いらっしゃり、インタビューで自分の足の事より救出されたこと、そしてまだ救出されない仲間の心配。神様はなんて過ちを犯すのでしょう、こんな前途ある立派な若者を殺すなんて、世の中悪い奴ら死にたいものいっぱいいるのに。卒業式に出る、出ない、なんて、ちっぽけなこと。足を切断してまで救出されたにもかかわらず、笑顔で生きていることに感謝していた19歳の青年をみて生きる事の大切さを改めて教えられました。きょうは早くから妻が来てひどく怒られかなり割愛しました。あさってはISFCインドアサイレントフライト研究会の第100回開催記念行事があり、午後は外出許可をとりました。じゅんびは渡辺さんたちに任してしまい私はないもせず出席するだけです。厚かましいですな、本当にありがとうございました。226日(土曜日)本当に日時のたつのは早いもので2月も最後の土曜日、入院して一カ月にもうすぐなろうとしている。しかし退院の目処はまだ立っていない。入院費も心配だし会社を解雇され収入がない今余分な出費はできません。このままあてもなく入院生活を送って行ったらどうなってしまうだろう。相変わらず指先はしびれ。歩行も真っすぐに歩けません。いったいどうしたんだろうか他の病気を併発しているのかな?今日は姪の和佳奈ちゃん夫婦が子供を二人連れて見舞いに来てくれました。子供は男4歳、女3歳で、もうかわいくてたまらなく、抱きしめたら嫌がらずに、二人とも抱きしめ返してくれるではありませんか、優しさと素直さで、なぜか涙があふれ出てきました。年をとると涙腺が弱くなって困ります。でも心安らぐひと時でした。227(日曜日)さあ今日はISFCインドアサイレントフライト研究会100回記念飛行会の日です。外出願を出してお昼から会場に向かいました到着してびっくりいろいろな景品など準備万端会長として何も出来ずベッドで寝ているうちにこんなに準備していただいて渡辺さん、マルナカさん、荻原さん、そしてみなさんありがとうございました。最初のあいさつで言いたいことの半分も言えず後悔したが会長を辞退することを宣言し、後任に渡辺氏にお願いし快く引き受けていただいた。飛行会はいろんなゲームが準備してありとても楽しく気のきいた景品をいただきました。しかし体の方はもう限界あるけない・・・・・・入院前と一緒で変わっていないよ!!2次会はご無礼してなんとか病院にたどりついたとたんバタンキュー、もう体力はぜんぜんありません。以前は定年まで働いてあとは退職金と年金でのんびりとラジコンと音楽を楽しむ悠々自適な生活をすることを妻と夢見ていたがそんな夢は儚くきえてしまった。今は病気に打ち勝ち生きることしかない。228(月曜日)2月最後の日いつもなら仕事はじめ(もうよそうこの言葉は)の月曜日の朝いつものように朝食を食べ終わったら後ろから元気な声でヨッ!!と呼ぶ声に振り向くと元気そうにほほ笑む初老の方がおられました。初めはどなたか?と思いましたが、そうです、私と同じ病気で脳の手術を受け電池交換の手術を受けた方だったのです。あまりの変わりように初めは解りませんでした。手術の効果はかなり希望が持てますが頭の術後の膨らみ、胸の傷跡、はかなり大きいものになる。歩行もほぼ正常で多少振戦はあるものの交換前と比べるとかなり改善されていました。私も今すぐにとは言わなくても前向きに考えてみたいと思います。早速病室へお伺いし詳しくお話を聞いたところご本人酒もたばこもやらず40年仕事一筋出来て退職してからこの病にかかったそうだ。見るからに几帳面で健康的な生活を送ってきてもこの病気になるというのはなぜだろう?其れがわからないから、原因も治療法もなく対症療法しかないのか。31日(火曜日)今日から3月今日は私の誕生日病院のベッドの上の一人のさみしい誕生日。きっと良いことがあるのを信じている誕生日、少し良い話が舞い込んできました。テレビ生出演のオファーがあったのです。日時は310日木曜日16時から17時の知多マル生放送の15分間の出演だそうです、打合せはこれからです。入院中ですがなんとかしても出演したいです。と思っている矢先、先生が回診に来られ9日に退院出来るということになり出演はもう大丈夫、午後担当者から電話が入り明日の午後1時過ぎに打ち合わせに来るとのこと。あまりにもトントン拍子にうまく運びすぎてどうなる事やら。とにかく頑張るしかない!今日は意外に体がよく動く振戦もなく不随もない。やはり病は気からですか?今日は楽しみな入浴日さっぱりして・・・羞恥心~羞恥心~もうないよ~(歌っているつもり)32日(水曜日)9日に退院することを妻に電話したら今週の金曜日にしてくれと言うではないか、なぜかと尋ねると娘が私に卒業式に出てほしいからだというのである、なんという妻の早とちりか娘は私に卒業式に出席してもらいたかったのであった。電話口で嬉しさと涙で言葉がでなかった。私はあえて出席をあきらめるために9日に退院にしていただいたのであるが、出席となるともう出来るだけ早く退院して服装(これは女性ですな)ビデオの準備、他もろもろあるのではないですか?とにかく娘が卒業生を代表として答辞をよむのです。それなりの準備はおこたってはいけませんな。早く退院出来るように話さないと。交渉のけっか4日退院OKになりすべての望みがかなったのです私は病気に勝ったのです!! 
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青い鳥

ep-ojin 様も素晴らしいですが、支えて下さる奥様、お嬢様も素晴らしい。
素敵なご家族ですね。

by 青い鳥 (2011-05-13 21:04) 

ep-ojin

青い鳥さん温かいコメントありがとうございました。その後は娘は卒業式でりっぱに答辞を読みわたしもそれを見届けることができ、志望校にも合格することができました。私も残りの人生頑張って生きて行こうと思いますのでとても温かさを感じる青い鳥さん。見守っていてくださいね。
by ep-ojin (2011-05-14 15:08) 

hirochiki

うちにも大学生のひとり娘がおります。
この記事を読ませていただき、涙があふれました。
お嬢様の中学校の卒業式に出席することができて、本当に良かったですね。
奥様もお嬢様も、とても素晴らしいご家族だと思います。
by hirochiki (2011-05-15 18:22) 

ep-ojin

hirochikiさん心安らぐコメント本当にうれしいです。私と同じように、大切な目に入れても痛くない娘さんがおられるのですね。大学生ともなればもう安心ですね、わたしは心配なことばかりで、またブログにお邪魔して、いろいろ勉強させてもらいます。
by ep-ojin (2011-05-16 18:01) 

れいこ姉ちゃん

大変な思いをされて、本当に言葉もありません。
つらい経験の分、これからep-ojinさんのところに
きっと沢山の幸せがやってくることと思います。
by れいこ姉ちゃん (2011-05-21 14:00) 

ep-ojin

ありがとうございます。れいこ姉様のお言葉に希望を持ってこれから生きて行くという力が湧きでてきました。なんとか娘の自立までは見届けたいと思います。
by ep-ojin (2011-05-21 15:18) 

millet

なぜ私が?その疑問に答えが出ず、本当にお辛い思いをなさっておられることと胸が痛みます。
なぜ病になるのか、なぜ生かされる者と、天に召される者がいるのか
それは自然の摂理であり、神のみ御業であると以前耳にしました。
難しい問いですね。。。
神様のご計画の通りにしかならないということなのかな。。。
ありのままを受け入れ、当たり前のことを当たり前と思わず、
自分の周りに満ち溢れいている恵みに目をとどめ、
生かされていること、愛する家族がいることを感謝し、
少しでも多くの愛を遺していく。。。
生かされている間に、今の私のできることを粛々と実行していけたらと思っています。
手術をお受けになることで、今の痛みや苦しみが少しは和らぐといいですね。
by millet (2011-06-04 21:25) 

つぉ~♪

そんなに悪かったのかっ!!
手術は受けるのか?
都合のいいときに携帯メールくれ。。。ワシのアドレス知ってるか?

by つぉ~♪ (2011-06-06 18:53) 

ep-ojin

milletさんコメントありがとございます。本当に私には愛する家族がいるし私なんかよりもっと苦しい人生を送っている方がいらっしゃいます。今生きてる間に出来ることを実行するしかありませんね。

つお~先生、心配おかけしましたなんとか生きております繊細は携帯メールのほうへ送っておきました。
by ep-ojin (2011-06-07 11:48) 

青い鳥

お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますか?
ご訪問とnice!をありがとうございました。
気候不順です。 ご自愛ください。
by 青い鳥 (2011-06-07 15:09) 

sig

こんばんは。
当方のブログにご来訪ありがとうございました。
闘病日誌、すべて読ませて頂きました。想像もつかないご苦労に絶句です。
実は同病の友人がおりまして、どう対応したらいいのか迷っています。が、この日誌で心境をかなり理解させていただくことができました。私も3月生まれで、他人事とは思えませんが、どうぞ無理なさらないようにと月並みなことしかいえません。くれぐれもお大事に。ご返事無用です。
by sig (2011-06-07 23:37) 

ep-ojin

sigさん返事無用とおっしゃられましたが、お礼の返事書かずにはいられないことにお許しを。ありがとうございました、こんな長ったらしい取りとめのない日誌を最後まで読んでいただき本当にうれしいです。なかには途中まで読まれ家族の本当の気持ちを知らずに批判する人などおられましたが最後まで読んでいただければこの日誌の主旨が分かってもらえたと思います。友人の方も苦労なさってらしゃるんですね。早く治療薬が開発されればもう何の望みもありません。
by ep-ojin (2011-06-08 21:18) 

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